なんとなく先延ばしにしたままになっていた今年の函館での個展について、書いてみようと思う。

どこかで書いたり、話をしたことがあったかもしれないけれども、ふるさとであるこの街で個展を開催する、ということはイラストレーターとして活動していく中で、長年いつか実現したいと思っていたことのひとつだった。

とはいえ、ただひとくちに展示といっても、それはどこでも良いわけではなく、きちんとそのギャラリーなりお店なり、まあ平たく言ってしまうとその「場」との関係性を僕はとても重視している。もちろん東京だろうとどこの街であろうと、それはどこでも同じなんだけど、とりわけこの街ではより一層それが大事なポイントになるということは、なんとなく最初から気がついていた。(だから個展を開催するのにここまで時間がかかった、とも言える)

展示を開催していただくことになったClassic/Classicsは函館、谷地頭に佇むカフェであり、そのカフェの前の道路を挟んで目の前にある小さなギャラリーだ。このお店と知り合うきっかけとなったのは友人のイラストレーター、かとまりさんからの紹介だった。

詳しいことは長くなりすぎてしまうので、ここには書ききれないけれど、一言だけで強引にまとめると、それは要するに “全部繋がっていた” ってことだったんだと思う。それは人と人の縁だけに留まらず、時の流れとか、そういったものひっくるめた全てがゆるやかに、そしておだやかに繋がっていた。一致していたんじゃなくて、あくまでそれぞれが独立しつつ、でも局地的にしっかりと繋がっていた。

とにかく、その時はじめて入ったClassicでコーヒーを飲み、プリンを食べ終えた後、そのドアを閉じる時にはもう展示をすることが決まっていた。まるで魔法みたいに!

帰り道お店から数十メートル離れた電停まで歩く間に「きっとこの場所がずっと待っていてくれたんだな」と妙に確信したのを覚えている。

実はClassicに出会うずっと前、この街でいつか個展をやろうと心に決めたその時から、会場も決まっていないのに展示タイトルだけは最初に決めていた。そう、この街に住む人ならおそらく誰でも知っているであろう、あの曲の歌い出しだ。

「だれかにすむまちきかれたら」

もともと19歳で函館を離れ、東京での暮らしをはじめた僕にとって(同じように地方出身で大きな都会へ出てきた経験がある人ならきっとわかってもらえる感覚だと思うのだけど)”この街”は長いこと過去の街だった。過ぎ去ったり、すれ違ったり、いろんな物事が近すぎてイラついたり、渇望したり、いろんなことに絶望したり、そんな街。捨てたわけじゃないけど、いつもこの街に対してある種の後ろめたさみたいなものをいつも感じていた。

でもいつの頃からだろうか、帰ってくるたびに自分の心を少しだけ置いてくる場所も少しずつ増えてきたことにも気がついていた。それは文字通りの「場所」だったりすることもあれば、例えば歩いているときにふと気がつく亀田川沿いの草花の香りだったり、街中を走り回る市電のモーター音だったり、ある時は街頭放送のかにっこだったり、そして展示タイトルに拝借したあの曲だったりすることもあった。

もちろん僕は今でも東京が好きだ。エネルギーに満ち溢れていて、いつも目に見えない大きな渦がぐるぐるして、否応なしに巻き込まれて、熱に浮かされてなにも考えずに踊り続けることが楽しい街。いろんなものを片っ端から吸収して、咀嚼して、吐き出して消費することができる街。本当に大好きだ。でもきっとそんな街に住んでいるからこそ、あの「だれかにすむまちきかれたら」という歌詞が展示のタイトルとしてすーっと心に浮かんできたのだと思う。

果たしてclassicsでの展示はそのタイトル通り、この街をテーマにした作品で構成した。
作品について自分語りするのは得意ではないし、あまり好きではないのだけど、でも今回この展示を観てくださった方々がそれぞれの視点を通じてこの街への僕の想いを感じてくださったら、それはとても嬉しいし、きっとやった甲斐があったのだ。

お越しいただいた皆さん、DMデザインをしてくださった佐々木暁さん、そしてclassicのおふたり、本当にありがとう。最後に展示の際に書いたステートメントをもう一度ここに置いて、この下手くそな文章の締めにしようと思う。


函館で生まれ育った時間よりも、東京と呼ばれる街で重ねた時間の方が遥かに長くなっていることに、ある日ふと気がつきました。

僕がこの街に置き去りにしたものや、預けっぱなしのもの。もしくは携えて出ていったものや、その日々の途中でいつの間にか無くしてしまったもの。愛しいものや、愛しくないもの。そして堆積される記憶の中、もう二度とサルベージされることのない小さな思いの断片たち。

でも、それらすべては間違いなく僕の中にずっと在り続け、

まるで空港から飛び立つヒコーキの窓からみえるこの街のようにいつも美しく輝いている気がするのです。

「だれかに すむまち きかれたら」 

今日もどこかからあの曲が聴こえてきます。
僕は今、なんて歌い継ぐのでしょうか。


2025年の大晦日に。
みなさん、良いお年を。

水沢そら